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現代語訳 梅松論 〜 南北朝時代の始まりの物語
¥1,500
南北朝時代が始まった経緯が記されている軍記物語『梅松論』(ばいしょうろん)の現代語訳です。南北朝時代の軍記物語としては太平記が有名ですが、『梅松論』は太平記に比べて誇張が少なく、また、比較的短くて、読みやすい読み物です。梅松論は、太平記と並ぶ南北朝時代の基本文献のひとつです。 『梅松論』というタイトルは、「北野天満宮の境内で、梅の香りがただよい、松の風がそよぐ中で、僧が戦乱の経緯を語り始める」という、この物語の設定から来ています。読む時の助けになるように、関連系図と多数の史跡写真を入れてあります。 『梅松論』の見どころ 『梅松論』は、足利方の軍勢に加わっていた人物が成立に関わったと考えられています。そのため、足利勢の軍議の様子や、足利方から見た迫真の合戦の描写などがあります。また、合戦以外のこまごまとした記述にも面白いところが多々あります。少しだけ例を挙げると、 ・ 後醍醐天皇が隠岐に流されたあと、そこから船で脱出する際に、船に積んだ「烏賊と云ふもの」の中に玉体を埋めて追手をやりすごした。(梅松論の作者は、イカの実物を知らなかったらしい。イカに埋もれた後醍醐天皇は、どんな気持ちだったか。) ・ 足利尊氏が九州から攻め上る途中、備前児島で、風呂を使ったり、名物の楊梅(ヤマモモ)を食べたりしてしばしくつろいだ。(南北朝時代の、地方の名物がわかる記述は珍しい。) このような細かい描写は歴史の解説書などではとりあげられることはほぼ無く、元の軍記物語を読まないとわからないことです。このような小ネタ的な記述も、楽しめるところだと思います。 (B6、並製、154ページ)
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現代語訳 難太平記(附論 今川家の赤鳥の謎を解く)
¥1,500
執筆者の今川了俊は、足利一門の武将です。南北朝時代に九州探題として活躍しましたが、後に幕府に対する反乱に連座して失脚。失意のうちに晩年に書き残したのがこの『難太平記』です。600年以上前に生きた武将の生(なま)の声を聞けるのが魅力です。 後半に、難太平記に関連した小論が2つ付いています。 ● 附論1 今川家の赤鳥の謎を解く 難太平記には、今川家が笠じるし(味方を識別するための目印)として使った「赤鳥」というものが出てきます。この赤鳥が何を表しているのかは江戸時代には全くわからなくなっており、赤鳥の実体が何なのかについて議論が続いていました。しかし、今に至るまで明確な結論は出されていませんでした。この附論では、江戸時代の文書で赤鳥論争の経緯をたどるとともに、絵画資料や発掘資料を援用して、赤鳥の実体を解明しています。江戸時代からの240年以上にわたる赤鳥論争に終止符を打つものになっています。 ● 附論2 群書類従本『難太平記』の伝来について 群書類従に収録されている『難太平記』の末尾には、「瀬名貞如本」を元にしたと書かれています。この瀬名貞如が何者なのかを探るうちに、今川了俊の直系の子孫である瀬名貞雄・貞如(さだゆき)父子が、群書類従の編纂グループと親しく交流していたことが浮かび上がってきました。また、群書類従に収録された難太平記の、室町時代以降の伝来の過程についても推測が可能になりました。これらの内容がまとめられている附論です。 (B6、並製、164ページ)
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現代語訳 鎌倉大草紙・永享記 〜 関東の室町時代の物語
¥1,700
関東の室町時代の歴史が記されている2つの軍記物語、『鎌倉大草紙』と『永享記』の現代語訳です。関東の戦国前史について知りたいと思った時に、まず読んでみるのにぴったりの読み物です。 足利尊氏によって室町幕府が開かれたあと、足利尊氏の子の一人が鎌倉に住んで関東を治めました。そして、代々その子孫が跡を継ぎ、鎌倉公方と呼ばれて関東を治めました。また、上杉氏の一族の中から関東管領が選ばれて、鎌倉公方を補佐する役割を果たしました。しかし、この統治組織(鎌倉府)は時の流れとともに徐々に崩壊していきます。本書には、鎌倉府の崩壊の過程で起きたさまざまな事件(上杉禅秀の乱、永享の乱、結城合戦、享徳の乱など)が記されています。 鎌倉大草紙や永享記の内容は、滝沢馬琴の南総里見八犬伝の元ネタにも使われており、八犬伝に登場する里見義実や扇ヶ谷定正(定政)も登場します。また、江戸城を築城したことで有名な、太田道灌の活躍も記されています。 (B6,並製。204ページ)
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京洛の昔のいくさの物語[現代語訳 応仁記]
¥1,700
応仁の乱の経緯が記されている軍記物語、『応仁記』の現代語訳です。 登場人物たちの個性あふれる言動・行動や、合戦を見物する人たちの様子など、解説書を読んだだけでは読み取れない内容が随所にあり、興味深く読める読み物だと思います。 『応仁記』は、呉座勇一著『陰謀の日本中世史』で採り上げられています。そこでは『応仁記』のことが、史実と全く異なることが記されている虚偽に満ちた軍記のように論じられています。ところが不思議なことに、実際の『応仁記』の内容はそれとは大きく異なっており、史実に沿った記述がされています。 本書の「あとがきに代えて」では、『陰謀の日本中世史』で言及されている『応仁記』と、実際の『応仁記』の諸本の内容を比較し、それらの関係が解説されています。これを読むことで、『応仁記』をめぐる近年の議論の背景を知ることができます。 『応仁記』の現代語訳に加えて、京都の「桃園(ももぞの)」の地域(一条大宮付近)をめぐる2つの小論も収録。 ☆ 桃園宮と、応仁記の「朝顔の墳」 「応仁記」に記された、一条大宮の仏心寺にあったという謎の史跡「朝顔の墳」の実体を探る小論。山名家の家臣が書き残したものから仏心寺のあった場所を確定し、そこから始めて、室町時代や平安時代の一条大宮周辺(京都の、一条通と大宮通の交差点の周辺)の様子を解明しています。 ☆ 延喜二十年夏、宣子内親王を桃園宮に迎え入れた親王は誰か 源氏物語の「朝顔の姫君」のモデルとなった宣子内親王と、その弟の克明親王(よしあきらしんのう。源博雅の父)をめぐる少し難しい論考。「朝顔の墳」の探求から派生した平安時代の話です。 (B6、並製、283ページ)
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